原敬は、1921年11月4日夜、東京駅で暗殺されるが、その当日に、中国の記者のインタビューを受けて、対中国政策について次のように述べている。
「自分は、この国の正式のスポークスマンです。我が国は領土的征服や勢力払拭を望んでおらないことを、厳粛にあなたに向かって断言します。あなたは、三年前に始まった日本の政策の転換に、気づかれなかったかもしれません。しかし、確かに転換はあったわけです。この一、二年の間に日中両国の間における出来事のうち、中国主権の侵害とみなされるもの、あるいは大隈・寺内内閣当時の出来事のうちの、あるものと同様のものを挙げることは難しいでしょう 。21世紀の今日、領土的征服などはまことに時代遅れのお粗末な政策です。満州と蒙古における我々の政策は、今、お話したとおり、既得権益を護ることにあるのみです」
1918年9月29日、政友会総裁である原敬を首相とする内閣が発足する。いわゆる「平民宰相」の誕生である。原は、翌年1月、首相就任後、初の施政方針演説を行い、その中で外交政策について、「帝国政府は、列国との協調に努め、ロシアや支那に対して、何ら野心を有しない」と述べた。上に掲げた約3年後の発言とその基調は同じである。
原の首相就任直後当時の日本をめぐる国際環境について概観すると、まず、第一次世界大戦(1914.5〜18.11)が続いていたが、ドイツの敗北は決定的な状況であった。日本は1914年8月、ドイツに対して宣戦し、中国の山東省にあったドイツの租借地などを占領している。中国との関係については、大戦期間中の1915年1月に行った「対華21か条の要求」(中国における日本の権益拡大などの要求を含む)などのため、関係が悪化し、中国国民の対日感情も著しく悪化していた。
1902年以降、外交の基軸であった英国との同盟関係(日英同盟、1902.1〜23.8)は、日露戦争(1904.2〜05.9)後の日露関係の好転によって、また、日本の中国での権益拡大、米国の対中国、特に満州蒙古地域への進出などによって、実質的意義を大きく失っていった(1911年に結ばれた第三次日英同盟条約では、米国に対し、当同盟が効力を持たないものとされていた)。欧米、特に米国の満蒙進出に対抗する上でのパートナーであったロシアは、革命(1917.2と1917.10)によって、皇帝制が崩壊しており、日本の中国進出を警戒こそすれ、これに協力する列強は皆無という状況であった。
中国の当時の情勢は、北京に袁世凱(1859-1916)以来の中華民国政府(北方政府)が存在していたが、各地方には軍閥が割拠しており、四分五裂状態であった。こうした中、原が首相に就任し、まず取り組んだのが、段祺瑞(1865-1936)を総理とする北方政府への援助停止であった。これは、政権発足の翌月である18年10月の閣議決定で、停止の方針が示された。
原内閣の前政権である寺内内閣(1916.10〜1918.9、寺内正毅1852〜1919)は、北方政府に借款(西原借款)や武器供与という支援を行っていた。これは、中国での影響力確保という視点もあったが、こうした支援は、北方政府の有力な対抗勢力であった孫文(1866〜1925)ら、中国国民党(1914〜)などの南方勢力を抑止するという側面もあり、原には、将来、中国で南北統一が実現した際に禍根を残すという懸念もあった。また、支援を行うとしても、米英などとの間で了解を得た後が望ましいとし、支援の停止を決定、今後の借款供与については、1912年以来の欧州各国との共同の借款団(4国借款団)を通じて行うことを確認し、国際協調の姿勢を示した。武器供与については、19年2月に停止の命令が出されている。
このような施策には、まず、日本が対中進出を突出した形で進めれば、必ず欧米との関係悪化を招来するという判断がある。加えて、「(中国が)欧米の文明を輸入し、外国より得たる知識を応用して、段々経綸を行う」、したがって、中長期的な視点に立って日中関係の安定を図るのが、日本の国益に合致するとの考えがあった。欧米の対日不信、反発を抑え、協調路線を保持するという国際戦略と日中関係の安定化という外交政策は、欧米の関心と利益が中国に注がれている以上、同一文脈でとらえられるべきものであった。
しかし、悲劇的なことに、原の暗殺後、十数年を経て、日本は、対中、対米政策に失敗し、国際的孤立、対米戦争への突入、そして国家壊滅に瀕する敗戦という道を歩むことになる。
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応援コラムについて
千田勝一郎を応援する友人「石クローバー」による政治コラムです。
岩手県出身の首相・原敬(1856-1921)にまつわるエピソードから、政治と政治家、国家のあり方について論じていきます。
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